2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧
よくわからないが、このドラムやファイフや制服は、 その頃のお金で、合計十万円ぐらいかかったらしい。 池田青年は、はじめ、これを学会の予算からなんとか ひねり出せないものかとと考え、ほかの幹部達に相談をした。 でもだめだった。「そんな少女鼓笛隊…
ところが、そのふた月ほど後、 彼女達がすっかり鼓笛隊の事を忘れてしまった頃。ある日、M子さん達若い女子部員が、 ある支部で、大勢の後輩達に指導をしていると、一台のトラックが支部の前に止まった。 有名な楽器店のマークをつけた、大きな荷物が運び込…
こんなふうに、池田さんには、他人が持っている小さな夢、小さな計画を、よりでっかい夢、よりすばらしいプランに変えてしまう特技がある。 よく考えると、とても出来そうも無い大きすぎる夢だが、 彼に励まされると、それが出来そうな気になってくるから不…
「自分は味方だ」と伝えてあげてほしい。小さな「ひとこと」が、大きな「支え」になる。たった一人でも、友がいれば、闇に光が点(とも)る! SP 2006-11-28
イバラの道をこえて「愛の鼓笛隊」 新聞だけじゃなかった。週一回の聖教が順調にすべりだして半年ほどたったころ、 池田青年はまた大変な新アイデアを思いついた。 このアイデアのヒントを出したのは、その頃学会の女子部の若いリーダだったM子さん。 「私…
「コッペパンの話しの後日談」 偶然コッペパンの真相を知ったその支部の会員 その頃若いプレス工だった中村猛さんが、泣きながら著者に話してくれた。 「あのパンのことを知った時、池田先生の思いやりに体がふるえた。 感激のあまり、その場で先生のために…
みんなは夢中でパクついた。久しぶりに満腹したところで 池田青年はひとりひとりと膝づめで話した。 ある女工さんには、 「仏法を疑ってはいけない。幸福は必ず来る。苦しみは歓喜の前ふれなんだよ」 ある若い工員には、「まず君自身が生きる目的をつかめ。…
「池田青年とコッペパンの話」 それは1950年頃のことだったらしい。 そのころ、その貧しい工場地帯には、学会のささやかな支部が生まれた。 リーダーはとても熱心な中年の活動家で、仏法の知識も深かった。 彼は最初、何十人もの人を、ファイトと情熱で…
まして、自分のことを忘れて、ギリギリの気持ちで相手の幸福を祈るなんてことは、天才、凡人を問わず、ふつうはめったにできるものではない。 ――そのひとはそれをやっているのだ。なぜそんなことができるのか? そのひとのこうした独特な精神作用を、私たち…
「人びとへの愛」 この話を間いたとき、私はそのひとの強烈な記憶力の秘密を、やっといくらかつかんだような気がした。そのひとはもともと、どっちかといえば照れ屋で、めったに自分のことをよく評価することはない。したがって右の発言も、非常に控えめなも…
第一、どこに行っても何千人もの仲間にもみくちゃにされるそのひとが、いちいちくわしいメモを残すなんて、たとえそばに記録係が百人いても不可能なのだ。そこで、ある幹部がとうとうたまりかねて、なるべくビックリ・ショー的にならないように、単刀直入に…
「相手の苦しみを分けあう」 私がおどろくのは、これが木村さんだけの特殊例ではないということである。過去十数年間に、そのひとは同志を激励するため、全国を何十回となくまわり、そのうえ何回も世界旅行をこころみているが、調べていくと、いたるところで…
「あっ、まえに会ったね。バスの窓でだったね。あのときより顔色、よくなったなあ。そうだ。その後お母さんの具合、どう? 元気になられた? うん、そればよかった! こんどはきみがしあわせに……」 しあわせになるようにがんばるんだよ、とそのひとはいいた…
「愛は奇跡のように」 木村さんは、もちろん第一番にかけつけた。おおぜいの仲間と一緒に、一心に会場を清掃して、そのひとを迎える準備をととのえた。木村さんとしては、そのひとの姿を遠くからでも見て、一家がよみがえることのできたお礼を陰ながら述べた…
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」 11-18 創立記念日76周年 おめでとうございます! 今日からまた、新たな決意で勝利の人生を目指すゾ(^^)
『これでわたしは生きてゆける。どんな苦しいことがあっても、先生のあったかい手を思い出して頑張ろう。そう思いました。帰りの列車の中でも、先生の手の温みがずっと残っているみたいで、なるべくわたしは手を使わずにそっとしていました。 そして家に帰る…
「木村さんの手紙から」 そのひとの記憶力の話にもどろう。二、三年まえ、私がその組織の若者たちのことをルポした本を出したとき、私は多くの読者から手紙をいただいた。そのなかに、東北地方に住む木村さんという娘さんからのこんな手紙があった。 彼女は…
このうれしさを、私はかくしておくことがてきず、しばらくしてその組織の有能な幹部の一人に話した。と、その幹部は、みるみる疑わしそうな顔になって、私にこう教えてくれたのだった。 「ヘえー、そんなことがあったんですか。おかしいなあ。……先生はお酒、…
「そのひととウィスキーの話」 そんなわけで、私はこの二回目のインタビューを、緊張しきってすごした。そのせいかどうか、そのひとの新しい抱負や思索をいろいろ聞きだすことができ、私はホッとした。それから雑談になって、私はそのひとから、「ところで、…
そのときはもう、私もヒッピーふうのスタイルではなかった。七年の歳月は、私にも多少の経験と思慮を積ませていた。逆にいえば、私はそれだけ、はじめのころの純粋さ(?)を失い、海千山千のずるいもの書きになっていたということでもある。そのひとは、そ…
「微笑のきびしさ」 一度しか会ったことのないおおぜいの仲間や後輩の顔を、吉良さん(当時の吉良香代子女子部長、現・浅野香代子さん)は実によくおばえている。私はさきにそう書いた。ただおぼえているだけてなく、彼女はひとりひとりの仲間の境遇や気待ち…
モントリオール大学 シマー元学長 ブルジョ教授「挑戦」と「応戦」恩師はよく、健康と生命の関係を「病気上手の死に下手(へた)」という言葉を用いて説明された。 ただ病気にかからないように注意していれば、長生きできるというわけではない。また、長生きイ…
将又日蓮下痢去年十二月卅日事起り今年六月三日四日日日に度をまし月月に倍増す定業かと存ずる処に貴辺の良薬を服してより已来 日日月月に減じて今百分の一となれり、しらず教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮をたすけ給うか、地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬…
御病を勘がうるに六病を出でず其の中の五病は且らく之を置く第六の業病最も治し難し、将た又業病に軽き有り重き有りて多少定まらず就中法華誹謗の業病最第一なり1010頁
されば日蓮慈母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として身にうけさせ給う・心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし985頁
「戦い続ける生命の中から紡(つむ)ぎ出された言葉でしか、人の心に勇気と希望は与えられない。桂冠詩人の池田先生の詩は、常に戦い、勝った生命でつづられた言葉だから人の胸を打つ。あらゆる人々の人生を励ますことができるんだ。君も先生の弟子なら、そう…
しかし、彼がアキレかえったのも無理はなかった。それはスケジュール表というより、「メチャクチャ表」とでもいうべきものだったからだ。 なにしろ、どんな多忙な大スターのスケジュールにも、睡眠時間だけは必らずとってあるはずだが、それがほとんどない。…
「余白のないノート」 「ウエー! こりやどういうことだ?」そのノート・ブックを初めてひらいたとき、原田稔君はまずアキレかえってしまった。原田君ほいま二十八才。東大法学部卒業、創価学会事務総局員。エリートがひしめく学会本部のなかでも、とくに「…
つらい日々もあるけれど 上を向いて歩こうよ!
空と この道 出逢うまで どんなに遠くても たどり着いてみせる! by shogo