SOKA薬王のBlog

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ある指導者の愛4

このうれしさを、私はかくしておくことがてきず、しばらくしてその組織の有能な幹部の一人に話した。と、その幹部は、みるみる疑わしそうな顔になって、私にこう教えてくれたのだった。


「ヘえー、そんなことがあったんですか。おかしいなあ。……先生はお酒、大嫌いなんですよ。というより、体質的に、アルコールはほとんど受けつけられない。無理して飲んだりすると、あとで必ず体調を悪くしてひどしまれるんですよ」


 瞬間、私は胸のあたりをつらぬかれたように感じた。ずっとまえ、学生時代に、軍事基地闘争反対でつかまりそうになった私を、誠実な友人が体を楯にしてかばってくれたことがある。また、やはり学生時代、お金も希望もなく健康でもなかった私に、一生を賭けようといってくれた女性もいた。ノロケではなく、ほかに適当な例がないのでやむをえず書く。


 若かった私は、そうしたとき、激しく心をゆさぶられたものだ。私はそれを最高の友情であり、愛情だと思った。実際、その友人の友情は得難いほど純粋だったし、その女性の愛情は本当に貴重で誠実なものだったといまでも思う。


 しかし、それはあくまでも親友の友情、恋人の愛情だった。私の友人は、私という友人のために危険を冒しててくれた。私の恋人は、恋人として私のために愛情を注いでくれた。これはかたちは違っても、多くの人が受けることができるもの、昔からあった感動のパターンである。


 だが、私がそのひとから受けたものは、こうした従来のパタ−ンとはまるで違ったものだった。何度もいうとおり、そのひとにとって私は単なる外部の一レポーター、おおぜいの有象無象のなかのひとりにしかすぎない。


 そのひとりのため、そのひとは体が受けつけないウィスキーを、黙って心よく飲んでくれた。飲めばひどしくなるのを承知のうえで、何もいわずに微笑して飲みほしてくれたのである。