SOKA薬王のBlog

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ある指導者の愛5


「木村さんの手紙から」

 そのひとの記憶力の話にもどろう。二、三年まえ、私がその組織の若者たちのことをルポした本を出したとき、私は多くの読者から手紙をいただいた。そのなかに、東北地方に住む木村さんという娘さんからのこんな手紙があった。


 彼女は、工場地帯の真ん中で、病身のお母さんをかかえて苦闘している若い女工さんである。中学もろくに出ないうちから、働きづめに働き、なかなか外へ出る機会などなかったが、ある夏、やっと先輩に連れられて、その組織の中心地――というより、その思想の原点の地――に行くことができた。そして、はじめて、そのひとに二回だけ会った。一度はおおぜいの仲間と仏法の講義を受けた席上。もう一度は、研修を終えて帰郷するとき、出発するバスの窓のところで。


 会うことがてきたといっても、集会の席上では、遠くからそのひとの顔を見ることができた程度である。帰郷するときも、バスのそばで手をふってくれたそのひとと、かろうじて握手することができただけである。しかし、木村さんはこの瞬間を逃がさなかった。何百人もの仲間が窓から手をさしのべ、そのひとの握手を奪いあっていたが、木村さんはそのひとが自分の前に来たとき、両手てそのひとの温かい手をしっかり握りしめた。


「こっちはわたし、こっちは病気の母の代わりににぎらせてください」彼女は左右の手にせつない思いをこめて握りしめながら、およそこんな意味のことを叫んだ。およそこんな意味、というのは、彼女自身そのときはもう夢中で、それに半分泣いていたので、何を叫んだのか自分でもよくおぼえていなかったからである。


 そのひとは、その一瞬、木村さんの目をジッと見て、やさしくうなずいてくれたようだった。だが、そのひとの手はたちまち、隣の窓の仲間の手のなかに移っていった。木村さんはそれだけで十分満足だった。