SOKA薬王のBlog

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ある指導者の愛2

そのときはもう、私もヒッピーふうのスタイルではなかった。七年の歳月は、私にも多少の経験と思慮を積ませていた。逆にいえば、私はそれだけ、はじめのころの純粋さ(?)を失い、海千山千のずるいもの書きになっていたということでもある。そのひとは、そんな私に、再び心よく会ってくれた。ところが、会ったとたん、そのひとは私をひと目見てこういったのである。


「やあ、約束より三年早くお会いしましたね。あのとき、あなたはたしかセーターを着ておられたが、こんどはそうじゃありませんね。しかし、目つきは前よりもするどくなられましたね」


 そのひとは、微笑しながらさりげなくいったので、私はそのときは何も感じなかった。だが、あとから思いかえして、私はそのひとの言葉の深い意味にドキリとした。どう少なく見積っても、七年間にそのひとと会ったジャーナリストやマスコミ関係者は、二千人や三千人はいたはずである。対話した同志、非同志をあわせたら、最低二、三万人にはなるはずである。


 その一人にすぎない私、その私と交した約束、私の服装までもそのひとはおぼえていたのだ。しかも、その七年の間に、私の目つきがするどく(というのはそのひとの礼儀正しい言い方で、実際には私の目つきが悪く)なったことまでも、そのひとは見逃さなかったのだ。


 それは、私の七年間の精神的変化をズバリいい当てていた。私はセーター一枚でインタビューにでかけるような生意気さからはぬけだしていたが、代わりに、初心を失った適当な評論者のひとりになろうとしていた。そんな私へのきびしい忠告を、そのひとは、「目つきがするどくなった」という短い一言に託して贈ってくれたのである。


 こっちがまともに歩んでいるとき、その人はやさしくあたたかい。しかし、こっちが人生に安易に妥協しようとするとき、そのひとのやさしい目はそのまま、大変こわい目に変わる。――私はそれをつくづく思い知らされたのだった。