ある指導者の愛11
「人びとへの愛」
この話を間いたとき、私はそのひとの強烈な記憶力の秘密を、やっといくらかつかんだような気がした。そのひとはもともと、どっちかといえば照れ屋で、めったに自分のことをよく評価することはない。したがって右の発言も、非常に控えめなものと受けとっていい。しかし、そのなかには、少なくとも秘密を解くカギのひとつがある。
そのひとは、会ったり握手したりした人たちのことを、棒暗記するようにおぼえているのではなかったのだ。そのひとはその瞬間、相手の心になりきって、相手の苦悩や歓喜を、自分の苦悩や歓喜として感じとるのだ。人々の運命と運命の変革を、そのひとはいつもともに苦しみ、ともに背負い、ともに心からよろこぼうとつとめてきたのだ。
だからこそ、そのひとは相手のことを、単に「おぼえている」のではなく、「胸に強くきざみつける」ことができるのだと思われる。
私はたびたび、「そのひとの記憶力の秘密」と書いてきたが、こうなるともう、それは記憶力ではない。記憶力とは、文字どおり「ものをおぼえている能力」にすぎないのであって、精神の内面に強くきざみつけることとはまるで違う。それは単なる記憶力だけでは決してできない。
たとえば、韓国のキム・ウンョン君、米国の大実業家ハワード・ヒューズなどは、まれにみる記憶の天才といわれ、一度会った人のことは絶対忘れないという。だが彼らはそのひとのように、会った人の苦しみを自分の苦しみとして感じとるなどありはしない。
まして、自分のことを忘れて、ギリギリの気持ちで相手の幸福を祈るなんてことは、天才、凡人を問わず、ふつうはめったにできるものではない。