SOKA薬王のBlog

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「池田大作という人 その素顔と愛と生き方」1 


「池田青年とコッペパンの話」

それは1950年頃のことだったらしい。 そのころ、その貧しい工場地帯には、学会のささやかな支部が生まれた。 リーダーはとても熱心な中年の活動家で、法の知識も深かった。


彼は最初、何十人もの人を、ファイトと情熱でひっぱった。 何軒ものアパートの人達を、残らず説得をして入信させた。 ところが、せっかくそこまでこぎつけたのに、 ある時期から、支部の人数が急に減りだした。 おまけに、支部全体に、なんとなく重っしい空気がただよいはじめた。


いろいろ原因があったらしいけど、一番の原因はリーダーのやりかただった。 リーダーが熱心さのあまり、「なにがなんでも大聖人様をあがめろ。他の事はどうでもいいんだ」と、 しゃにむに、かたくなな信仰をおしつけようとしたためだった。


「あれじゃイヤなっちゃうよなぁ」 「くだらねえよ。あんな話より、今夜のメシを腹いっぱい食いていよ」 支部のメンバーたち 若い工員や女工さんたちは、 みじめな当時の食料配給のもとで、すき腹をかかえてそうささやきあってた。


池田青年はそれを聞いて心配した。 で、彼はある晩、大きな風呂敷を抱えて、その支部の座談会をたずねた。 「頑張っているかい? ほら、おみやげ持って来てやったぞ。   


みんな、これを食べて元気出してくれよ!」 そして、池田青年がひろげた風呂敷の中からは、 何個かのコッペパンと、蒸したサツマイモとトウモロコシの粉で作った 蒸しパンがいくつかころがりだした。 みんなニコニコ顔になった。


この3つは、その頃の日本の庶民の主食だったんだが、 決められた配給量はちょっぴり。 誰も余分には食べられなかったからだ。 「さては・・・・ヤミ(配給外)のおみあげですね?」と人々が聞くと、 池田青年は、「うん、すごいヤミだぞ」とまじめくさって答えた。