SOKA薬王のBlog

SOKA薬王のBlog

「戦後五十年の生き証人」が語る5


中央公論1995年4月号 池田大作:田原総一朗



【田原】そもそも戸田さんを訪ねたきっかけはなんですか。


【池田】私の小学校の同級生から誘われたんです。「教や哲学に関するいい話があるので、来ませんか」と。私も若かったし、戦後でいろいろ煩悶していた。哲学的なことが好きなもので、それなら行ってみようという気になったわけです。


【田原】非常に悩していた時期だったわけですか。


【池田】そうでもなかった。


【田原】誘われたから行こうかという、軽い気持ち……。


【池田】そうです。それほど深い考えで行ったわけではない。


【田原】戸田さんの言葉で、「これだ」とじたのはどういう部分でしたか。


【池田】当時、私は何人かの青年と郷友会という研究会のようなことをやっていたんです。日本はどうあるべきか、われわれはどう生きるべきかをテーマに、学者や労働組合の指導者を訪ねたり、天皇制を論じたり、議論していたわけです。


そんなときに、戸田会長は、「これから生きていく上において、天皇制や労働組合を論じるよりも、まず自分はどういうものか、そこから出発したほうがいいんじゃないか。もし、そうしたなら、おれについてこい。体当たりしてこい。なんでも言え。なんでも聞く。嫌だったらやめていっていい」と叱咤されたわけです。


青年の直で「この人にはついていける」とったわけです。師匠だから言うわけじゃありませんけれども、あれだけの人物は、いまの日本にはいない、と確信しています。


【田原】当時、創価学会の会員は何人くらいでした。


【池田】敗戦直後でしたから、少なかったですね。まあ、宗教団体なんていうのは、会員数を大げさにいうものです。初代の牧口会長時代は門下生3000人と唱えていましたが、3000はいなかったとう。で、弾圧を受けて、残ったのは数人でした。私が入った時期は、やっと再建が始まったばかりですが、私の記憶では、実質的には1000人いなかった。500〜600人だったといます。


【田原】わずか500〜600人だった創価学会が、いま800万世帯の会員を抱えています。ここまで大きく伸びた原因は何ですか。


【池田】一言でいえば、皆が欲しているからでしょう。


【田原】他の宗教団体とは、どう違うのですか。


【池田】前が違う(笑)


【田原】中身はどう違うんですか。


【池田】法に力がある。法それ自体に力がある。その力を出せるような指導をする。皆にわかるような指導をする。


【田原】具体的にはどういう指導ですか。


【池田】社会に向かい、生活に向かい、自分自身の人生の生き方に向かって力を出していく。そういう人生の原動力を出せるようにする。民衆は賢明です。庶民はますます聡明です。そういう人たちのを満たしてから、創価学会は伸びたのです。


【田原】そこがほかの宗教はできないんですか。


【池田】形式的で形骸化していますからね。


【田原】創価学会には形式がない。


【池田】ないです。