SOKA薬王のBlog

SOKA薬王のBlog

法華経の智慧1-2「生命がキーワードの時代へ」

1-2「生命がキーワードの時代へ」


災害時の対応には、その国の「文化」が表れる。


法華経では「一切衆生の成仏」を説く。しからば、その仏とはいかなる実在か。成仏とは何か。これは仏教全体の根幹にかかわる問題です。


「仏とは、生命なんだ!生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!」


「生命」は、現に万人にそなわっている。だから万人が実感できる具体性がある。


また「生命」には多様性がある。


この「多様性の調和」を教えたのが一念三千です。


妙の三義には「開く」義、「円満」の義、「蘇生」の義がありますが、これこそ「生命」の特質です。そして「仏」の特質にほかならない。


仏法の目的は、結局、境涯を変えるところにあるのです。


釈尊は、生老病死という人生の苦と対決して、自己の内奥の広大な世界を開いていった。


天台もまた、法華経を根本として生命を内観し、そこに覚知したものを一念三千として説明した。


華厳経では、心と仏と衆生無作別であると説いているが、天台は、これを借りて、心と仏と衆生の三つの次元で法華経の妙法を論じた。「生命」は、これら三つを統一的に表現できる、現代的な言葉でもあります。そして日蓮大聖人は、生命の本源の当体を南無妙法蓮華経であると悟られた。


すなわち、生命論こそが仏法の本体であった。


「人間革命」とは、成仏の現代的表現です。


ともあれ学会は、生命論に始まり、生命論におわるといってよい。「仏とは生命なり」


死んだ後の「我」は、どこにあるんだろう。


戸田先生が、こうおっしゃったことがった。
「我という名前をつけるけれど、我といのは宇宙のことなのだ。宇宙の生命と君らの生命と違うかというと、違うのは肉体と心であって、生命には変わりはない」
宇宙と人間を、どうしても別のものに考えがちだが、戸田先生は、とちらも生命であるとこに変わりはないと言われている。


戸田先生は「溶けこんでいるっていうより、宇宙の生命それ自体なのです。それ自体が変化を起こしているのだ」


「変化をしていく、流れるように感じられる大もとのものなんだよ」


「流れているのでもなければ、止まっているものでもない。虚空のごとし」と。それが生命の本質です。


「コト」というのは「事象」「現象」であり、まさに「法」そのものです。世界を`諸物`としてではなく、`諸法`として、とらえ始めている。その`諸法`の実相(真実の姿)を説いたのが、法華経なのです。


人間を「国家の目」で見るか、「生命の目」で見るかです。「国家の目」は、生命を権力のしもべとして利用しようとし、数や物に還元してしまう。「生命の目」は、相手を、かけがいのない無二の存在として慈しむ。


人間の尊厳を失わしめる、あらゆる歪んだ「目」に対する挑戦の開始であったと思う。それこそ仏法の本源的な挑戦なのです。