一千万遍の唱題で宿命転換2
こんな中、兄弟三人は「こんな貧乏で喧嘩の絶えない宗教は絶対にしないでおこうね」と誓い合っていました。中学の時も、社会は豊かなのに、我が家は学校に持って行くお弁当がおにぎりだけでした。
朝、母が一個にぎるのに20分くらいかけるのです。いじめられないようにとおにぎりに題目を送っていたんです。そのおかげでいじめられるどころか皆が嫌いなものをくれるので、それをおかずにして食べました。
私はそれを弟達の教室へ持って行き、弟達にも分けてあげました。友達はにんじん、ごぼう、ピーマンなどを残すと母親に叱られると言い、嫌いなものをもらってくれる、と逆に感謝され、おかげで私は健康で病気もしませんでした。
父が家へ帰らなくなり、借金取りが来たりして、母は一人で三人の子供たちを守ってきました。私はこの御本尊様を捨ててしまえば幸福になるのではないかと、何度も母に言ったりしました。
ある時、お菓子会社に七軒の人がだまされ莫大な借金を背負いました。そのうち五軒が夜逃げをし、一軒が一家心中をし、残ったのが我が家でした。父は寝込んでしまい、母は明るく「お父さん頑張ろう。うちには三人の宝がいるんだから」と言って、昼は内職、夜は土方のような仕事に行くのです。
ある日、夜中にあんなに元気な母が泣きながらお題目をあげている姿を見た時、こんなちっぽけな女の人がこんなに強くなれるんだから、この御本尊様にはすごい力があるのかなと、ちょっぴり子供心に思ったんです。
高校三年の時に、家族を幸福にするのは私しかいないと一人発心し、いい大学に入り、いい会社に入ってお金持ちと結婚するんだと思いました。
お題目をあげることを知らなかった私は、学校から帰ると8時間も勉強し、先生も手作りの問題集で応援してくれました。一年間本当によく勉強し、友達からも先生からも絶対受かると言われた国立名古屋大学を受験することになったんです。
ところが、受験日の三日前に交通事故にあってしまい、意識不明になり入院。病院で意識が戻った時、昨日が受験日だったと聞かされました。その時私の夢はガタガタと崩れ落ちていきました。
そのどん底に落ち込んでいた時に、母が枕元にやって来て、「これが宿命よ」と追い打ちをかけるように言いました。
おまけに今度は父がにこにこしながら「おまえの左足はあまりに強く打ち過ぎて砕けてしまった。放っておくと骨肉腫になるので3cmくらい骨を削った。おまえは身体障害者になったぞ。すごいんだぞ。手帳がもらえて電車もバスもただで乗れるぞ」と明るく言うのです。
こんな両親の元に生まれた私は、世界で一番不幸者だと思っていました。
しばらくして父が「そんなに勉強が好きなら、二年間くらいゆっくり体を休めるために、専門学校でも行ったらどうだ。自分の金でな」と言うのです。自分のお金でいくことになった所は、論文試験だけの誰も知らない五流短大で、栄養士になれる学校でした。