病人と看病人 15
言い損う技術
まともに言った言葉を相手が聞こうとしない心の状態の病人に、まともに「これは軽いですよ」と言ったち「病人は、馬鹿にしていると怒り出す。そういう病人に本心を通そうとする場合、そういう本心が通らない時、言い損いという手段は悪くない。それによって、ひょっくり裡なる眼が醒めて元気になることがある。
「あ、そうか」と思って自分の悪かったことを悟る。ところが人間は、自分の悪いところを人に指摘されれぱ、指摘されるほど、そのことを強く否定する。それなら、まともに言うことは全く聞かれないかというと、場合によりけりで、「お前は金づかいがあらい」と言われて「そうね」と言ってジャンジャン使う人もある。しかし「お前は本当は欲張りなんだろう」と言うと、欲張りな人程「そうでない」と強く否定する。不親切な人程「不親切」と言われるのを嫌う。冷淡な人程「冷淡」と言われることを嫌がる。自分でそっとしておきたい本当のことを触れられるのは、誰しも嫌なのである。
ところが病人の場合は、ズバッと触れてひっくり返さなないと変わってこない。それが他人からでは嫌なのだから、自分から気づかせるようにするしかない。では自分で気づかせるにはどうしたら良いかというと、言い間違い、言い直し、その後の余韻、そして何かが残る-…。残ると、ああそうかと思う。相手は気がつかないだろうと思うから、自分でハッと悟って改める。しかし面と向かって言うと逆に自分で庇ってしまう。そういうところが看病人の心構えとして要るのである。