病人と看病人 14
言い損う技術
言いそびれた言葉、言い損った言葉は強く印象に残る。「鼻だけはきれい」と言うのと「鼻もきれいね」と言ったのとでは違う。「鼻だけは」などと言われると、言われた方はちょっとこたえる。その上「鼻だけは、いいえ、鼻もおきれいでございます」などと言い直されたら、その「鼻だけは」の方が印象に残る。それも相手が取り消した以上、答めることも出来ない。しかし心の中にそういう動きがあったという事実は変わらない。言葉を取り消したとしても、相手の心の中のその動きまで取り消し得たかというと、それは判らない。
そういう言い損いは、それ自体とても困ることが多いが、連想を体が感じている実際の感覚と分離させる場合には、この言い損ないという方法は、相手の眠っている眼を開かせ、技術として使えば重要な役目をする。
例えぱ看病人が正直に「イイエ何でもないですよ。絆創膏を貼ってこうしておけば大丈夫」などと言っても駄目な場合がある。また「癌などと言っていませんよ、お医者さんは」などと言ったら「癌である」と言うようなもので、「癌じゃないですよ」などと言うのより、もっと強烈である。「絶対に癌などとは言いませんでしたよ」と、強く否定すればするほど肯定することになる。
子供に、こう言っている人がある。「絶対にお前は馬鹿じゃない」と。そのような断言は逆の連想を呼び起こす。「ではない」という否定をを何度言い直したところで、言い直す毎に、それは逆の作用を強くし、逆に本心を出してしてしまう。