病人と看病人 11
体に影響すること
−ちょっとした漠としたこと−
我々は、自分の胸が痛くなろうと思っても痛くならない。なろうというのは意志だからである。しかし梅干を見ると酸っぱいと思わないうちに唾が出てくる、出血して恐いと思うといよいよ出てくるというように、何かを連想すると、血行も変化するし、分泌物も多くなる。
けれどもそれは意志で出そうと変えようとかしても出来ないが、想い浮かべると出来る。意識してよりも、しない時の方が出来る。病人も庇われたり護られたりしている間に、自分は弱いのだと空想してしまい、今まで強かった者まで弱くなってくる。
看病人の場合、相手を病人にしようと意図しないのに、何らかの動作が相手の空想を悪い方向へ無意識に誘い、それを実現させてしまうことがある。
心の能力、体の能力を奪う原因になるのは、ほんのちょっとしたわだかまりなのである。精神分析をする場合に、心に隠れている重大事を探そうとするが、実際の体に影響するものは、これこれこうと、はっきり言い現せない事柄であることが多いのである。
医者が診察に来て、帰った。その時、その病人が水を飲もうとしているのを、看病人があわてて飲ませてあげたとしたら、その病人は確実に弱っていく。或いはまた、医者の帰った後「自分でもう全部やりなさいよ」と言ったら、病人は腹を立てながらも、気が楽になる。もしその時あべこべに親切を押し付ければ脅迫になり、どんなに親切にしても悪い方向へ空想してしまう。このようなキッカケを作ってどちらかに導くということが看病人の大切なところである。
だから心の中の何かを誘導するのには、理由のない、掴まえどころのない獏とした事柄をその方向に無意識に連想するようにもってゆけば、その行っている行為はどうであろうと、心の中の元気が湧いて奮い立つが、失敗すれば萎えてしまう。