SOKA薬王のBlog

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壮年部への指針・磐石なる我が人生2


「純粋な信仰の輝きを」2


"生涯青年"の気概を


次に、つねに青年のごとく、みずみずしい、はつらつとした生命の吹をたたえていける人生であっていただきたい、と要望したい。この五、ヨーロヅパを訪ねたさい、ある著な歴史哲学者とさまざまな間題で対話する機会があった。氏のモットーをたずねたところ、それは「さあ!仕事を続げよう」ということであった。氏は八十三歳という高齢であり、ふつうならば余生を楽Lんでもよい年齢である。それでも、老いてたお精力的に未来を見つめ、はつらつと創造的な仕事を続けている。その氏の精神的な若さに服するいであった。



青年のような生命の吹でい起こすのは、牧口初代会長の生涯である。牧口先生のログセは「僕は"生涯青年"だ」ということであった。先生は七十歳を超える老齢の身でありながら、官憲の弾圧と戦い、いつも旺盛な生命力で座談会に臨んでおられた。そして教育理論の研究も生涯続け、創価教育学という不減の金字を残している。このように広宣流布への燃え上がる青年の鼓動が、今日まで学会精神として脈々と伝えられてきたし、今日の学会を築く原動力ともなったのである。



宗門においては第五十九世堀日亨上人の研鐙につぐ研鐙のお姿は、宗門の鑑となっている。況座をしりぞかれてからも、九十歳近い年齢で、なお正宗教学の興隆に一身を捧げられた。富士宗学全集百三十余巻の完成はもとより、昭和二十七年には学会教学部とともに「日蓮大聖人御書全集」の編算の労をとられた。また「大白蓮華」誌上に御開山日興上人の績を連載され、後に九百ぺージになんなんとする「富士日興上人詳伝」として本にまとめられている。これらすべては晩年になられてからの労作、偉であり、生涯、向上の欲にあふれた碩学であられた。この堀狗下のお姿こそ青年そのものであったとう。



ここで若さとはいったい何か、を考えてみたい。もちろん、肉体的には、いつまでも青年というわげにはいかない。しかし"生涯青年"の気迫に満ちている人は、青年と同じく、いな、青年以上のはつらつたる仕事、績を残していくことができる。たとえ肉体的には老境に達していても、生命それ自体の年齢は、二十代、三十代の青年であるといえよう。その"生涯青年"たりうる本源は、不退の求道精神にあるとう。



大聖人の法は、本因妙の法である。私たちは本因妙の精神に立ってさらに高い自己完成、人問完成をめざして、つねに努力していくべき存在である。そのなかに、信仰の本源があることを銘記したい。反対に、自分自身すでに完成したとうところに、惰や老化が始まる。燃え上がる信仰、不退の求道精神、広布への旺盛な責任のあるところ、生命はかならず躍動し、色連持で、精神も肉体も同じく躍動することは問違いない。御書に「年は・わかうなり福はかさなり侯べし」(御書1135P)と仰せである。どうか壮年部の皆さんは、いつまでも若々しく、いつも健康で、青年の気迫を満々とたたえていげる信仰を貫き、福運を積み重ねていっていただきたい。