SOKA薬王のBlog

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太田昭宏「真っ向勝負」9


ライフストーリー3「政治」


また昭和四十八年、公明党の支持者が憤慨している問題があった。
それは共産党による悪質な反公明キャンペーンが、エスカレートしていることだった。公明新聞や議員、党員が抗議しても、共産党側は肝な場面になると、巧みに論点をすりかえ、まったく反省の色はうかがえなかった。青年らしい正義や批判力が旺盛だった太田も、まじめな支持者を傷つける共産党が人一倍、許せなかった。
 

公明党の機関紙局で、あるプロジェクトが発足したのはそのころだった。共産党に対し、公開質問状の彩で本格的な論戦を挑むことにしたのである。テーマは枝葉末節の問題ではなく、ずばり憲法三原理(国民主権、平和主義、基本的人権)という国政の根本原理から考察した形で、日本共産党の欺聴(ぎまん)や矛盾を問いただす質問状を作成することになった。
 

執筆チームの人選が始まった。シャープな切れ味があって、しかも論理の構築が織密でなくてはならない。ある幹部が口を開いた。「太田はどうだ。まだ若いが、試してみよう」。若手からの抜てきである。


この公開質間状は、公明新聞などで発表され、のちに「憲法三原理をめぐる日本共産党批判」として集大成された。すべての原稿を合わせると、四百字詰め原稿用紙で五百六十枚(約二十二万字)にもおよぶ大論文である。太田の担当は、プロレタリア独裁の体質をただす箇所である。


デマをまき散らす共産党に鉄槌を下したかった太田は、全力を注いでペンを走らせた。共産党には、憲法擁護を主張しながら、人民の憲法に変えることをうたった欺聴がある。そして独裁に必ず帰着してしまうという致命的な矛盾を太田は筆鋒鋭くついた。
 

この公開質問状は外部の識者からも高く評価された。しかし、公明党共産党の綱領や重要文献、その歴史的事実に基づいて行った質問にもかかわらず、当の共産党からは相変わらず一方的な中傷によって、論争を回避、放棄する姿勢しか見られなかった。