SOKA薬王のBlog

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太田昭宏「真っ向勝負」6


ライフストーリー3「政治」


政治記者として働き始めた太田だが、その眼前には、日本の不毛な政治風土が広がっていた。昭和四十七年七月に田中政権がスタート。その庶民や行動力から当初の人気は高かったが、石油危機を引き金に、インフレと不況、狂乱物価に生活を打撃された国民のは離れ、金脈問題発覚後の昭和四十九年十一月に田中総理は退陣を余儀なくされた。
 

戦後の高度経済成長に、はじめて赤信号がともり、次の三木内閣時代には、ロッキード事件の衝撃が走った。これ以降、「政治と金」をめぐるスキャンダルが後を絶たず、国民の政治離れも加速していく転換期でもあった。国会審議も大荒れで、暴走する場面もしばしばあった。
 

たとえば太田が国会に詰めていた昭和四十八年は、防衛二法案、国鉄筑波大学法案、健保などが争点だった。七月十七日、参院自民党は内閣委、運輸委、文教委で、ほぼ同時に審議を打ち切り、強行採決にふみきった。太田の目の前で与野党の議員がつかみ合い、怒号が飛びかった。まともな政策論争などない。審議が紛糾すると、のちに首相となる大物政治家が野党の部屋にきて「頼むよ。俺とあんたの仲じゃないか」と与野党の妥協を求めて泣きついてくる姿も見た。


予算委員会も白熱し、記者席でゆったり原稿を書いている場合ではなかった。原稿用紙に鉛筆をたたきつけるように記事を書き飛ぱし、「後は頼む」と後ろの同僚に原稿を放り投げ、次の取材場所に走っていくような毎日だった。