太田昭宏「真っ向勝負」4
ライフストーリー3「政治」
京大出の太田も、彼らの前では「坊や」扱いである。職人気質で少しぶっきらぼうだが、つきあってみれぱ仕事は正確・迅速で頼もしい存在だった。順応性の高い太田は、たちまち工場の職人さんとも仲よくなり、かわいがってもらった。降版時間の直前は要注意である。「太田君、一面、直しだ!」とデスクの声が飛ぶと、工場内の階段を疾走することも、日常茶飯の光景である。
住まいは、東京の目白にあった公明の独身寮。六畳一間に三人暮らしである。京都の下宿の方が、まだ住みやすかった。住宅政策の公明党だが、身内には厳しいな、と太田は感じた。独身寮に帰っても、同居の仲間への遠慮もあり、なかなか勉強に打ち込めない。
太田は、目自駅前の喫茶店「ルノアール」を根城にした。一番奥まったテーブルを指定席のようにして、時間があれぱ本を読みふけった。夏の休日もクーラーの効いた「ルノアール」で缶詰になって勉強。体が冷えすぎると、目白駅から山手線に乗った。まだ冷房車が普及していなかったので、本を読みながら山手線を一周すると体が温まり、また「ルノアール」へ。
ちょくちょく来店する太田に気をつかって、店側が太田の「指定席」の上の照明を明るいものに替えてくれた。こうして東日工場時代も地道に研さんを続け、記者として敏腕をふるう日にそなえた。