SOKA薬王のBlog

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「戦後五十年の生き証人」が語る11


中央公論1995年4月号 池田大作:田原総一朗



【田原】ところで、今の創価学会は、僧侶抜きの団体です。しかし、学会が大きく成長した時期には僧侶がいました。成長してからお坊さんがいなくなった。これは、どういう理由ですか。成長したから必要なくなったわけですか。


【池田】その問題は次元が違う。釈尊も最初から僧侶ではなかった。僧侶が誕生したのは、あとからです。牧口会長も戸田会長も日蓮正宗の信徒でしたから、信徒として僧侶を外護していました。ところが、僧侶のほうが、お金がたまり、傲慢になり、信徒を蔑視するようになった。学会は、正本堂、大講堂、大客殿をはじめ、三百数十カ所の寺院を建ててきた。また、総本山をはじめとして多数の末寺と僧侶を養ってきた。教史上、こんなに尽くした団体はないとう。


【田原】つまり、創価学会が、あまりにもお坊さんに尽くしすぎた……。


【池田】そう。現実にご奉公してきた。で、彼らが勝手に堕落したんでしょう。


【田原】創価学会がお坊さんを堕落させたとはいえませんか。


【池田】とんでもない。僧侶には僧侶の本分があります。衆生済度、信徒を大切にする。布教をする。修行する。慈悲のがなくてはならない。堕落するほうが絶対に悪い。


【田原】勝手に堕落したわけですか。


【池田】そのとおり。勝手に堕落したんです。「御供養を持ってこい」という彼らの要求に、どれだけの貧しい庶民が懸命に応じてきたか。その大を忘れて、一方的に破門するなど、僧侶のやることではない。人間のなすことではない。前代未聞の悪行として歴史に残るでしょう。


【田原】週刊誌などが、創価学会のお金の集め方がひどすぎる、とよく記事にしていますが、これはお坊さんにあげるために、やむを得ない部分があったわけですか。


【池田】宗門に莫大な供養をしてきたことは事実です。学会には、戸田会長からの伝統として「財務」という制度があります。「ご供養」という言葉を使ってはいけないと宗門から厳命されたので、「財務」という称になったのです。これは、間違いなく立派な信仰を続けてきた人の中から一口一万円で、年に一回、銀行振り込みの方式で出していただいている。決して強制でなく、「財務」をするしないも自由です。その浄財で、会員のために、国内、国外に1000以上の会館や施設を作ってきました。また世界での文化、教育の興隆や平和運動の支援等にも使用しています。ともかく、戸田会長は、人事の乱れ、金銭の乱れは、一切を混乱させ、滅亡させてゆくといわれ、私たちは厳正に守っております。