「戦後五十年の生き証人」が語る9
【田原】昭和35年に会長に就任したとき、「七つの鐘」という目標をたてられました。「昭和54年に王仏冥合を完成させる」、つまり「政権をとる」といったそうですね。
【池田】「政権をとる」ということは明確にいっていない。しかし、何にでも目標はあるものです。相撲でも野球でも、目標としては全勝しようとするわけないでしょう。
【田原】その目標はどうなりましたか。
【池田】昭和45年に政教分離を宣言したから、関係ないです。
【田原】もう、「王仏冥合」という目標はない、と。
【池田】「王仏冥合」という思想を放棄したわけではありません。「仏法」「慈悲」を根底にするという意味ですから。公明党だけではなく、自民党も、社会党も、共産党も、その出発の根底には、それなりの原理・原則たる哲学、思想、理念があったはずです。ただし、もはや公明党は新進党に移行しているし、その新進党の目標に向かっていけばよいのではないですか。
【田原】それにしても、昭和54年に池田さんが会長職を退いて、名誉会長になったことは、偶然の一致といいますが、不思議な話ですね。
【池田】いい区切りでしたね。
【池田】ほっとしました。「これで自由になる。体も楽になる。女房たちともゆっくり旅行できる。子供とも団欒ができる」と、いろんな点でほっとしました。
【田原】しかし、現実にはぜんぜん楽になっていない、家族との団欒も実現していないのではないですか。
【池田】まあ、それも運命です。