「戦後五十年の生き証人」が語る7
【田原】しかし、当時の人は、政教一致と解釈していましたが。
【池田】それは外部の人がでしょう。
【田原】いえ、内部にも、そう解釈している人がいますよ。
【池田】そこなんです。たとえば、「王仏冥合」と「政教一致」については、いまでも論議されていますが、根本的に違うんです。
【田原】「王仏冥合」自体は正しいわけですね。
【池田】正しいです。「慈悲」「生命尊重」「福祉」の理念を政治に反映させようということですから。
【田原】政教一致は間違いだと。
【池田】間違いです。日本は民主主義の国ですから、政教一致は法的にできるはずない。
【田原】公明党は、もともと政教一致を目指しているわけではないのでか。
【池田】まったく目指していません。目指すわけにいかないんです。
【田原】でも「国立戒壇」というのは、日蓮正宗の国教化ですね。
【池田】それは、明確に否定しています。日蓮仏法は世界宗教ですから、国教化はそれに反します。
【田原】いつごろ否定したのですか。
【池田】公式には昭和45年です。
【田原】言論問題が起きた時期ですね。
【池田】その当時です。
【田原】で、公明党をつくられたとき、政権をとるべきだと思っていましたか。
【池田】まあ、政党である以上、そのくらいの決意がなければ、つくった意味はないでしょう。ただ、当時、政権をとるとか、そこまで高邁な決心をした人間は1人もいなかったように思える。それは、政権をとれれば、ありがたいですよ。庶民がつくった党ですから。ただ、そんな簡単にとれるわけがないと現実的に考えていました。
【田原】そこをお伺いしたい。もともと創価学会は反権力的な存在ですよね。
【池田】そうです。
【田原】その創価学会が権力を目指すことは、矛盾しませんか。
【池田】矛盾しません。民衆が関与できない政治は民主主義とはいえません。民衆が政治に関与せざるを得ないのが、民主主義です。創価学会は、平和を実現するための、社会の変革を目指す団体です。現実から逃避した、内省だけの宗教は本当の宗教とはいえません。もちろん、権力は魔性です。しかし、同じ権力でも「王仏冥合」という慈悲を根本とした、民衆を根本とした、そういう権力ならば魔性にならない。
【田原】魔性の世界で、魔性でない政治を目指すにはなにをすればいいのですか。
【池田】飛躍しますが、仏法を信奉することです。仏法の人間主義を基調とすることで、魔性に勝つというのが、日蓮仏法であり、仏教の真意なんです。
【田原】しかし、政治という魔性の世界に足を踏み入れないほうが、創価学会としては安全なのではないですか。少なくとも、権力は目指さないほうがいいのではないですか。
【池田】実は私もそう思います。しかし、「心して政治を監視せよ!」というのが、戸田城聖会長の遺言でした。さらに、日蓮仏法のうえから、「王仏冥合」の推進へ出発せざるをえなかったのです。