「人間主義の内実を問う」より2
名誉会長は、第一回のハーバード大学講演(1991年9月)で、パスカルのジェスイット(イエズス会)攻撃について語られた。
ジャンセニズムという小さな教団に属していたパスカルは、ジェスイットの、いわゆる「良心例学」を厳しく批判した。
ジェスイットは東洋にも宣教師を送り、布教していた大教団であった。彼らは海外布教にあたって、土着の信仰との摩擦を避けるために、外的な規範(「良心例学」)をマニュアルとしてまとめていた。
これに対してパスカルは、“信仰を何だと思っているのか! 信仰は苦悩による選択であり、それによる内発的な精神性の発現ではないか!”と噛みついたのである。
仮に同じ結論に至るとしても、その過程には、苦悩や葛藤、逡巡、熟慮があり、そのうえでの決断でなければならない。これらを軽視して、外発的なマニュアルまがいのものに頼り、安易に結論を得ることは、信仰の生命線を失うことだ――と。ここに「人間主義」の大切なポイントがある。
私たちが内発的な力で一念を定めれば、そこには苦悩、葛藤、逡巡、熟慮があり、そのうえでの決断になる。
それをいきなり、外発的なマニュアルで結論を出しては、易きを求める多数へのおもねりになってしまう。
本当に内発的なものをわき立たせるためには、“選択の苦悩”「内なる戦い」を経なければならない。
「外形のみの改革」「世俗的な安全保障の確立」にひた走ってきた近代文明は、安楽志向というか利便と効率のみを追い求めるあまり、この苦悩、戦いを後回しにし続けてきたのである。