SOKA薬王のBlog

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「心の病について」


「健康勝利の掲示板」より転載します。

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また「にっち」様より以下の提案がありました。


の病」について大変多くの方が自分の見解を持っていることに問題の奥深さをじずにはいられません。ともあれ、もう少し深く掘り下げる価値はあるかといますので、新しく立ち上げさせて頂きたいといます。問題は次の点に絞られるかとわれます。
1.「の病」は「身の病」と同格に扱ってよいのか?
2.「の病」は病か否か?
これについてまりん氏は「の病」そのものが病ではなく、特定の精神状態に追い込むために「病」であるとの非常に興味深い見解を示して頂いています。これ以外にも論点となるものも考えられますので、これについても書いていただけると素晴らしい研鑽の場となるとわれます。こういったじで宜しかったでしょうか、管理人様。

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ということで、この板で研鑚したいといます。
皆様どうぞよろしくお願いします。薬王

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小野不一


> 統合失調症精神分裂病)の発症率は世界規模で見てもそれほど大きな変化は無いといわれています


ということは、「環境や生活条件に左右されることなく一定割合で存在する」ということになりますね。


> ただ、鬱病は若干の違いがあるようです。


ここが問題です。「若干」の度合いが。


もう一点は、「精神疾患は脳の病なのか」ということですね。もう一歩考えると、が病むから脳に異変が起きるのか、あるいは脳に異変が起きるからが病むのか、ということです。


「夫れ人に二の病あり一には身の病所謂地大百一水大百一火大百一風大百一已上四百四病なり、此の病は設いに有らざれども之を治す所謂治水流水耆婆扁鵲等が方薬此れを治するにゆいて愈えずという事なし、二にはの病所謂三毒乃至八万四千の病なり、此の病は二天三仙六師等も治し難し何に況や神農黄帝等の方薬及ぶべしや、又の病重重に浅深勝劣分れたり」(995頁)


八万四千というのは、法そのものの数と一致してます。つまり、法は「の病」を治すための方途を説いたものが考えることができます。


八万四千という数は「すべて」とも読むことが可能です。私は、人類全体の病だといます。


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fwik


管理人様皆様はじめまして 宜しくお願いします。

>小野様


>精神疾患は脳の病なのか


"精神疾患とは、脳(および「」)の機能的・器質的障害によって引き起こされる疾患をいう"(Wikipedia)(googleで「精神疾患」で検索していただくと 最初に出てくるといます) 


精神科の薬もそうですが、薬は生化学的レベルで手助けするものであり、いわば色法に作用するものですね。「見て分つ」ことはできませんが、体のどこかが壊れて悲鳴をあげているという事だけは確かではないでしょうか。ある精神科のドクター部も「うつ病には そういう『身の病』としての側面もあるんだということを もっと理解して頂きたいですね」とおっしゃってました。

が病むから脳に異変が起きるのか、あるいは脳に異変が起きるからが病むのか   その両方ですね。身体へのダメージがを病ませる、へのダメージが身体を蝕む。どちらのウェイトが大きいかということはありますし、発病に至るまでには 現実には大小たくさんの事件の積み重ねがあるでしょう。 私自身 夏にある方からうつ病の相談を受け、側面からですが 必死にサポートしてきました。話を聞く度に、抱えているものの余りの大きさ重さ故に 私自身が眠れなくなる事も度々でした。久しぶりに 祈れば祈るほど落ちこんでいくといく経験もいたしました。万一 自分の言動が悪化や自殺の引き金になったらと、恐怖との闘いでした。ご本人は未だ闘病の最中にあり、詳細は控えさせていただきますが 手を取り合い涙を流し合うような動的な場面を経て 確実に良い方向に向ってます。
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小野不一 家庭指導をしていたところ、部員さんから鬱病に関する冊子をもらいました。 以下、引用―― ○ギリシャ時代に「メランコリー」と呼ばれていた「うつ」は、19世紀に入ってから病気としての概が確立。 ○うつ病の発症には、その人本来の格や家庭・職場でのストレスなど、さまざまな環境が影響しますが、それ以上に大きな要因は、脳内の神経伝達物質が不足すること。 ○そう考えれば、「の病気」というよりも「神経の病気」と認識できる。 ○不足している神経伝達物質を薬で補うことによって、症状は確実に改善される。 ○2週間以上、落ち込んだ気分が続くようであれば、うつ病の可能が考えられる。さらに、落ち込んだ気分と同時に何らかの身体症状があるのも特徴。 ○うつ病抑うつ気分や、欲低下の症状は、午前中に強く現れる。  結構、知らないことが多かった。続きは、また書きますね。
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まりん 統合失調症については、このサイトが非常に勉強になりました。 現役精神科医の研究サイトです。 強いストレスから身を守るため、脳が周りの環境認識を全て遮断している生体防御反応が統合失調症であること。ぜひ一度お読みください。大変わかりやすかったです。 以下、一部抜粋です。 患者さんが落ち着いてから,発症するまでの経過を詳しく聞くと,大変な労をしてきている人が多いことに驚かされます。患者さんは,いつの頃からか,物事がスムースに行かない,対人関係がうまく行かない,周りの人が当たり前にできることが何だかうまくできない,というぎこちなさのようなものをじます。このじはどこへ行っても本人につきまといますので,患者さんは常に失敗しないように緊張していなければなりません。そしてたいていはこれを何とか乗り越えようと必死で努力します。中には不眠不休で超人的な努力をする患者さんもいます。 でも、もともと無理に無理を重ねてきていますのでこれはいつまでも続きません。どこかで破綻します。あるいは不打ちのような出来事で強いストレスが加わって破綻してしまいます。この結果,もともとあった緊張やぎこちなさと入れ替わるようにして,幻覚や妄といった精神症状が現れてくることが多いようです。幻覚や妄も患者さんにとって非常にしいものですが,それでも幻覚や妄によって,それ以前の何とも言葉に出来ないしいぎこちなさや緊張は軽減することが多いようです。 もちろんこれはありがちなケースを上げただけですので,実際の患者さんの発症の過程は千差万別です。ただいずれにしても,「素因」「慢的なストレス」「(発症の)引き金」の3つがそろうことが発症の必要条件になっているようです。 そして現在のところ,「脳内の物質バランスの崩れやすさ」や「脳の機能のごく微妙なズレ」のようなものが「素因」で,その結果現れてくる「物事を受け入れ,行動する際の微妙な困難さ」が「慢的なストレス」,これらから追い詰められていくことで脳内の物質バランスの崩れが決定的になることが「引き金」であると考えられています。 私たちは自分のの中に起こることをどうやって自覚するのでしょうか。そんなことは当たり前のことで疑問にすることがおかしい,などと言わず一度じっくり考えてみて下さい。私たちは生まれてからこれまでずっと,「自分」でしかありません。他人になったことがある,という人はいないはずです。私たちは自分の目で見,自分の耳で聞き,自分で体験したことしか知りませんし,自分のの中しか知りません。他人の目で見たり,他人のを直接体験することはできません。でもこれだと,自分のの中を他人と比べて調子がいいとか悪いとかは言えないはずです。 でも私たちは,一応,他人のの中をある程度体験できますし,他人と同じものを見たり聞いたりはできます(できていると信じています)。これは,生まれてからずっと周りの人と(主に言葉のレベルで)コミュニケーションを繰り返してきたことによって,の中にできてきた「信頼」によるものと考えられます。私の周りには世界がちゃんと存在して,人が存在して,同じものを同じように見,同じように聞いているはずだ,という「信頼」です。私たちはこの信頼によって自分のを他人のと比べることができ,周りの人と体験を共有できます。 ところが,この病気によって真っ先に障害されるのが,まさにの中のこの部分なのです。周りの世界や周りの人たちと共有しているものへのの中の信頼が失われてしまいます。そのためこの病気の症状が出てくると,患者さんは自分のの中の出来事を,周りの世界や他人のと比較対照して客観的にとらえることができなくなります。自分のの中の出来事に囚われてしまって,自分の考えや覚を訂正するの余裕がなくなってしまいます。 例えば,もし私が今,「世界は今まさに宇宙人から侵略されようとしている,早く何とかしないと世界は滅んでしまう」という気持ちを抱いたとします。普通なら,周りの世界がいつもと何一つ変わりなく,周りの人たちもいつもと全く同じように過ごしていることから,「ああ,い過ごしだったんだな」と自分の考えを訂正できます。しかし今まさにこの病気が発症しようとしている場合には,私のの中は余裕を失っていて,周りの世界は非常に緊迫した「いつもと全く違った」様子にじられ,人々は生気を失ったまるでロボットのような奇妙なじに見えます。「もう宇宙人に身体を乗っ取られているんだ」とじるかもしれません。周りのちょっとした物音は宇宙人の足音や何らかの裏工作をしている物音かもしれませんし,街を行く車のクラクションの音も何かのサインのように聞こえます。健康なあなたは笑うかもしれませんが,本当に自分のにこういう事態が発生した時のことを真剣に考えてみて下さい。家族が「病院へ行こう」と言ってもそれは「宇宙人が自分の身体を乗っ取ろうとしているんだ」としかじられないでしょうし,病院へ無理矢理連れて行かれて注射でもされたなら,本当に殺されるような恐怖をじるでしょう。涙を流して「助けてくれ」と叫ぶ患者さんをあなたは笑えますか?
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薬王 うつ病の統計です。 ●はときに病む、成人の15人に1人が鬱病の経験 はときに病む。厚生労働省の患者調査によると、平成8年に20万7000人だった鬱病の総患者数は14年は44万4000人と倍増。躁鬱病を含む気分障害の総患者数は71万1000人に達する。同省がまとめた疫学調査によると、成人の15人に1人がこれまでの人生で鬱病を経験している。(2004.09.20) 厚生労働省調べによる鬱病患者の統計推移は下のグラフの通りです。 平成5年の時点で鬱病と診断された患者数は18万人でしたが、 ... 平成14年度において正式に鬱病であると診断された患者数は71万人という結果ですが、 報告されているこの71万人という数字よりも実際にはより多くの患者が存在していると推測されます。
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世界的にはわかりませんが、日本ではやはり、うつ病はここ数年で急増しているようですね。これは「病」なのか?それとも、社会の変化(外的要素)に対応しきれず、が病むのか?
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小野不一 > 日本ではやはり、うつ病はここ数年で急増しているようですね。 私の手元にある冊子によれば、「多くなった」というよりも、うつ病の認知度が高まったことにより、「積極的に病院へ行く人が増えた」とありました。 気になるのは、モラル・ハザードうつ病の間に関係があるのかないのか。核家族化の世代が親となり、平気で援助交際をする少女達を育てた。そして現在、その連中が既に母親の世代となっています。 バブルの数年前ぐらいから、「価値観の多様化」などという言葉が出だした。勝手気ままな多様化が進んだ挙げ句、道徳や規律が失われたような気がします。
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にっち 社会の不安定が人間に影響を及ぼしているのか、それとも人間の不安定が社会に影響を及ぼしているのか?いずれにしても依正不二が事実である事をじずにはいられません。それと先日、立正安国論を拝していたのですが、その記述が現在の状態と全く同じである事に恐ろしさをじました。 確かに今は「牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に半数に超え悲しまざるの族敢て一人も無し」という物理的な荒廃こそ無いものの、精神的な部分においてはおそらくすべての人が「正しいもの」に欠乏し、このような精神的な状態になっているといます。であるからこそ尚更、正法を保つ私がまず立たなければならないと強くじます。 それと、本稿には関係ないですが、大変興味深い記述を見つけたので、ここに書かせていただきます。生物学者エドウィン・シャルガフ「本物の科学者は皆、物質的世界には、強大で、知る事の出来ない何かが存在しているという神秘的な直につき動かされている。一生のうちに少なくとも数回は、目に見えない巨大な顔と対面し、その遣いをじて涙を流したり、背筋が凍るようないをしたりする事がなかったとしたら、その人は科学者ではないのだ」 先生と対話をされた一流の知識人はおそらくこの「何か」を体験したからこそ、先生と相通ずるものが有ったのではないかな、とってみました。若干内容がずれてしまい申し訳ありません。
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小野不一 > 確かに今は「牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に半数に超え悲しまざるの族敢て一人も無し」という物理的な荒廃こそ無いものの 完全に一致してますよ。 牛馬巷に斃れ→狂牛病鳥インフルエンザ 骸骨路に充てり→発展途上国の飢餓状態、戦争
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小野不一 興味深い言葉ですね。 秩序や摂理の向こう側に、「法」を垣間見る瞬間があるんでしょうね。阿羅漢の一分だといます。
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薬王うつ病の認知度が高まったことにより、「積極的に病院へ行く人が増えた」とありました。 学会の中では、指導を受ける(相談)しずらい状況はないでしょうか? もちろん、上記fwikさんのように、うつ病に対して理解してる方は学会の中でも増えてきました。(頑張ろう→禁句など)  学会の指導は「難が来たら、題目だ!宿命転換のチャンスだ!」と強気を重視しますが、うつ病の人にはそれが出来ない。 また、活動しなければ良くならない、題目上げないと治らない、という学会の指導観がみられます。 本は信で治したいとっているが、無理が出来ないことも知っている。しかし、学会の指導観があるため相談しずらいとうのですが、いかがでしょうか?
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小野不一 > 学会の中では、指導を受ける(相談)しずらい状況はないでしょうか? 大いにあります。薬王さんが言われるような「本人の気まずさ」もあるでしょうが、それ以上に、幹部の側に問題があります。 一つは、病人に対して平然とプレッシャーを与えるタイプで、もう一つは、「うつ病のメンバーは、組織でタッチするな」という政治的判断があります。 「うつ病になった=敗北」とい込んでる人も多いといます。更に、表面的な明るい格を求め、暗さが嫌われる風潮も見逃せません。
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にっちです。「うつ病」をはじめとして、精神疾患はとかくいわゆる「身の病」とは違ったフィルターをかけられてしまう事が多々あります。 私はドクター部に所属しているので、このような方々からよく質問をされるのですが、まわりの病気に対する無知からくる無言の圧力のようなものをじずにはいられません。もちろん、そういう方ばかりではないのですが、どうやらいわゆる「幹部」といわれる人にそういう傾向が現れるようです。
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まりん うつ病は、「自分」を安して受け止めてもらえる人が居ない、という絶望から起こりうるものだといます。どんなに今の自分の環境が最悪でも、「大丈夫だよ!」と底抱きとめてくれる人...そんな人がたった一人でもそばに居れば、必ず治るのです。 幹部にありがちな、「活動すれば」「題目あげれば」的な指導には私も疑問をじます。 生命が希望に燃えれば、そんなことは本人から自然にしたくなるんです。そんな指導法ではなく、悩んでいる本人のに希望の灯火を点けてあげてほしい。鬱の相談者のを本当に見て語るならば、「活動」「題目」云々の言葉は出てこないでしょう。まずは、認めてほしいのですから。うつ病の患者に一番大切なことは、今のしみを認めてもらえる人に出会えることです。
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fwik 私も 冷たい幹部が増えたな、とじる事は多いです。 以前、うつ病について 先生が直接言及された御指導がないか さんざん探したことがありましたが、遂に見つけることはできませんでした。知人の聖教の職員も検索してくれましたが やはり 直接言及されたものは見当たらないと。 代わりに 次のような一文を送ってくれました。
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に仕えるなら病者を看護せよ 一、私は、典に説かれた、釈尊の有名な説話をい起こす。だれからも見放された一人の病人がいた。しかし、釈尊だけは見捨てなかった。手を差し伸べた。男の汚れた体をさすり、洗ってあげた。寝床の敷物までも取り換えた。真こめて看病をした。周りの人は疑問にった。“なぜがそこまでするのか”釈尊は答えた。「に仕えるのならば、病者を看病せよ」病気といっても、身の病もあればの病もある。治すためなら何でもする。病者をのごとくって世話をする――「人間のなかで格闘する」以外に道はないことを、釈尊は教えたかったにちがいない。(「ナイチンゲールを語る」より) 自分のまわりに このような世界を作り 広げていくしかないな、と決めてます。 うつ病が「身の病」か「の病」か?、「病」か否か? という点については あまり固定的に見ないほうがよいのではないかといます。医学と法では視点もアプローチのしかたも 全く異なりますから、ひとつの医学病名が法の病気の分類に どれがどれだと単純に当てはまるとはえないのですね。 特に「病」という言葉は、慎重に使うべきではないかといます。「病」という言葉がでてくる御書は 確か二編だけではなかったかと。大聖人が、どのような文脈の中で「病」という言葉を使われているのか、索してみるのも良いかもしれません。 私は、病気と戦う本人の 自覚にまかせるべき問題ではないかといます。少なくとも、ちょっと人と話すだけでも大変な時に、「病」なんてやられたら たまったものではないでしょう。 「うつ病と聞いて 幹部がドカドカ家に上がりこみ、頭ごなしに「罰だ宿だ」とやられ ボロボロになって 泣いて駆け込んでくる、そんなメンバーが後を絶たない。組織によって 対応に温度差がありすぎる」。ある精神科のドクター部が そう嘆いてました。
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薬王 2003.12.14SP「幹部は徹して「個人指導」を「一人を大切に」」 「総県長会議 秋谷会長」より抜粋 幹部の「励まし」として大切なことは、あくまでも「信の指導」「信の激励」でなければならない。ただ口先だけで「頑張れ、頑張れ」というのが「励まし」ではない。 一人ひとりの具体的な悩みをよく聞き、共にその悩みと真っ正面から向き合い取り組んでいく 功徳を受けていけるかどうか、現証が出るのかどうかは、「指導する側の確信」で決まる。 幹部は、激励した相手に「必ず功徳を受けさせてみせる」との強い一で、悩みが解決して喜びの結果が出るまで面倒を見ていこうとの真剣さがなければならない。 会合での指導も大切であるが、そうした「話」だけでは、生命に刻み込まれ、残るものが少ない場合がある。 それに比べ、個人指導を受け、境を克服した体験は、絶対忘れない。その人の生涯の宝となって残っていく。 いわゆる"会合型"の幹部になってはならない。 決して「上から下を見下ろす」ような、威圧的、命令的に入ってはいけない。上から臨むという態度で入るような幹部は嫌われる。 幹部は、あくまでも、「皆の力を引き出す」存在である。数で煽ったり、押しつけられたとじたら、「会員の本当の力」は出ない。 幹部への指導ですが、自分も、悩める同志のため成長しなければといました。
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小野不一 fwikさんへ。 「第21回本部幹部会」(1989-09-15 東北文化会館)で、日月に関する指導をされております。「月」の部分が、うつ病に関する指導だと思います。
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fwik >小野様 ご教示大変ありがとうございます、探してみます。 更新は終わってますが DefTechのブログで2005年04月18日の 「の中にはトルストイ」と題したMicro氏の書きこみ。素晴らしいといました。今 こういう部分がすごい希薄になってるんじゃないかと、内外ともに。 転載不可とのことですのでアドレスを、 http://www.j-wave.co.jp/blog/mp_deftech/archives/2005/04/ 関係ない話で申し訳ありませんが、彼らの歌、歌詞の内容が癒しと励ましが絶妙のバランスというか、本当にいいですよね。ここ数ヶ月、座談会で未来部や女子部と一緒に演ってます。英語の歌詞の味を討論しあったりもして 楽しいです。
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小野不一 指導をアップしようと試みたんですが、文字数オーバーで駄目です。私のブログにアップしておきましょう。創価スピリットで配信する予定だったんですが、急遽、「いじめ」の連載となってしまい、手付かずになっておりました。 Def Techの日記、拝見。素晴らしい内容を紹介して頂き、謝。
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転載以上。  皆さま、ありがとうございます。 薬王