一千万遍の唱題で宿命転換4
半年後社内で海外研修へ行く人の募集がありました。社員二千人の中から七人が試験で選ばれるのです。下手だったワープロも試験当日は手が勝手に動いてしまう感じで、誤字脱字のない速打ちで一番を取ってしまいました。
面接の日は普段あまり読まない新聞に目を通していくと、試験官からスギについて知っていることを言いなさいと言われ、朝読んだばかりのことを話しました。またもや七人の中に選ばれ、そのことでお給料が二倍になってしまいました。
海外研修に行ったほかの六人は30代後半か40代の人でしたが、移動が多いため、一カ月の世界一周の研修半ばで、みんな倒れていきました。元気なのは私一人で、レポートを書いてあげたり一生懸命尽くしました。
「なぜあなたはそんなに元気なの?」と聞かれたので
「元気の素はこれです」とお経本を見せました。そして全員で勤行をし、元気で帰ってくると六人とも御本尊様をいただくことになりました。四人は結婚し幸福になっています。
折伏って年数や教学じゃなく、元気が一番なんだなと思いました。
お題目をあげると人生がこんなに面白いように変わるんだと楽しくなり、早く一千万遍あげようと思いました。
その頃から家では、父の背中を見て一家五人が朝六時半に勤行するようになりました。父の友人が悩み事を抱えていて、その人は父に朝晩一遍でいいから題目を送ってくれと言いました。
翌朝、南無妙法蓮華経とたった一回唱えた時、父は突然バケツ一杯の血を吐きました。医者に行くと喉頭ガンと診断され、放っておいたらあと半年の命であることがわかりました。
母は「お父さんあと半年の命だって。さんざん私をいじめ、池田先生の悪口言ってきたからしょうがないよね。手術して声が出なくなっても題目をあげよう」と言いました。それから二年間、父は死ぬような苦しみを乗り越え、病院のベッドで毎日10時間のお題目をあげて完治しました。
下の弟は中学を出ると板前の修業に行くと行って独立しました。下宿の大家さんが学会員で、ある時家賃が払えなくなって行き詰まった時、御本尊様をいただきました。上の弟は大学へ行き、自分がこんな人になりたいと思っていた先輩が学生部の部長で、その姿を見て信心するようになりました。
私もその頃は女子部の本部長になっていました。毎年、身体障害者の申請のために身体の検査があります。ところがこの時の検査で、骨が伸びていて両足が同じ長さになっていることがわかり、障害者手帳は出せないとのこと。
晴れて私は普通の人になりました。それ以来、電車もバスもお金を払って乗っています。
その頃父が考案したお菓子が当たり、特許をもらい、お菓子会社から300坪の土地に200坪の工場、100坪の家を建ててもらい、七軒長屋から引っ越して気がついたら家族五人が使っても使ってもなくならないという経済革命ができました。
二十項目くらいあげていた願いが全部叶っていました。