病人と看病人 6
「自家製の病気」
看病人の安心の為の看病
看病人というのは、病人を快くし、丈夫にするつもりで傍に付いているものだと普通思っているけれども、そういう中にも、看病人が病人を育てている場合が少なくない。
そういう過保護の状態は何から起こるのかというと、病人を看病しようとする場合に、良いことはやっておこう、悪くなるといけないから先廻りしてやっておこうという心があって、何か自分の心の不安を安心させるために、蚊帳をつったりして病人の不快なことを平気でやるのである。
これは病人を看病していることだろうか。自分の心の看病をしているだけであり、その上、病人にその負担をもかけていることに気がつかない。そのような看病人はよくいる。もう死に際だからと、良いということを皆、一緒くたにやってしまう。
自分が安心できるということで、弱っている病人に良いことでも悪いことでも皆押しつけて、「手を尽くしたのだから」などと言うが、もし尽くさずにいたらどうだったろうかとは考えない。体の状態からみて、手を尽くさない方がよっぽど無事だったという場合が多い。
それでも自分の心の不安から、あれこれやる。普通の、何でもない場合ならともかく、病気の時を利用して自分の心の不安を除くためにやることはよくない。