門下
「吉田松陰」 童門冬二
- 作者: 童門冬二
- 出版社/メーカー: 学陽書房
- 発売日: 2001/10/01
- メディア: 単行本
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偉大な人物に学んだ人びとが、かならずしもすべて逸材として育つ訳ではない。社会へ巣立って、磨きのかかった才能をさらに発挿する人物もいれば、逆に師を失ったために、
「どう生きていけばいいのか」
と、目標を失って、混乱に陥る者もいる。そういう場合に、かつて同じ師に学んだ人びとと交流し、「師がいなくなった後、おれは混乱している。どうしたらいいのだろうか?」と正直にきけばいいものを、「自分のことは自分でやろう」と自恃(ジジ→みずからたのむ)の気持ちを強く持って、独断で生きていく人物もいる。
うまくいけばいいが、いかない場合もある。見当違いの方向へ行ってしまって、かえってスタートの時点よりも事態を悪化させてしまう場合がある。結果、「こんなはずではなかった」という後悔の念に襲われながら、非業の死を遂げていく場合もある。あるいは不幸の一生を終わる場合もある。
松下村塾の門人たちも、例外ではなかった。村塾は、たしかに明治維新を実現させる多くの逸材を生んだが、反面、「志を失って、不遇の中に死んでいった」という人びともたくさんいる。
あるいは、「師の教えは間違っていた。ついていけない」
松陰を見限る者もいた。これは、場合によっては、「自分は他の門人のように松陰先生から愛してもらえなかった」というようなヒガミに発したものもあるだろう。
あるいは、「師松陰の本当の偉大さ」が理解できなかった者もいた。
松下村塾に入門することを、「生きる上の方便」
として考えるような者もいたのである。
偉大な師が死んだ後、その門人たちが四散したり、あるいは師を裏切ったり、あるいは支えを失って不遇の淵に埋没するような例は古今束西の歴史にたくさんある。例えばキリストが死んだ後の弟子たちの動向がそうであり、元禄の俳聖松尾芭蕉が死んだ後の多くの門人たちの動向も同じだ。師を失って混乱し、うろたえた訳だけではない。はっきり、「師は間違っていた。自分は独自の道を歩く」と背信の道をたどっていった者もいた。