太田昭宏「真っ向勝負」14
ライフストーリー3「政治」
「中小企業の力になりたい」
平成十年。日本の全融界は危険な状態に追い込まれていた。自主廃業を決めていた国内四位の山一証券が、一二月に全社員を解雇し、百一年にわたる歴史に幕を閉じた。また二月には、二十年来の親友だった三人の社長が、経営難のあげくに別れの杯をかわしたあとで、ホテルのそれぞれの部屋で首をくくる心中事件もあった。三人のうち二人は、従業員が数十人規模の会社社長だった。
四大証券の一角から中小零細企業に至るまで、日本経済にあまりにも闇は深かった。ひとつ引き金が引かれれぱ、金融恐慌が起こりかねない瀬戸際にあったのである。こうして迎えた秋の国会は「金融国会」と呼ばれた。
当時は野党だった公明党だが、日本のかつてない難局を乗り切るために、小渕内閣の金融政策に協力する姿勢を打ち出した。折から衆議院商工委員会の理事だった太田の双肩に、重い責任がのしかかっていた。
処方菱は急がなければならない。しかし一歩あやまれぱ、患者である金融界はパニック状態になる恐れもある。もっとも弱り、苦しんでいる患部はどこなのか…。