「戦後五十年の生き証人」が語る3
【田原】このインタヴューは戦後50周年記念の企画ですが、日本が戦争に負けた1945年8月15日、池田さんはどこでなにをされていました。
【池田】ちょうど17歳でした。当時、大森区西馬込の母の妹――つまり叔母さんの家にいました。というのは、蒲田区糀谷にあった家から強制疎開させられたんです。私は江戸っ子ですから行くところがない。それで、馬込は当時、畑もかなり残っていたし、静かなところなので、そこで、そこにバラックを作って住んでいたら、8月15日の玉音放送になった。聴いていて、意味がよくわからなかった。
【田原】私も聴きましたが、わかりませんでした。
【池田】そのとき、私の弟が、どこから聞いてきたんでしょう、わんわん泣きながら、「日本が負けた!!日本が負けた!!」と騒いだ。それで、「ああ、負けたのかな」と。
【田原】負けたとわかったとき、どんなお気持ちでした。
【池田】ほっとしましたね。というのは、当時、私は肺病でした。しかし、4人の兄が兵隊に行っていて、私は軍需工場で働かなければならなかった。疎開前の一時期、家で静養していたときには、近所から「若いのに働きもしないで」と笑われて、ずいぶんくやしい思いをしたんです。会社の上司には怒られるし、病院で診断書をもらっても、なかなか休ませてくれない。そういう状況でしたから、精神的にというよりも、肉体的にほっとしましたね。