「若き友へ贈る」1
タイピングの練習も兼ねて、心に残った詩を打ち込んでいきます。
「はしがき」
私は、自分では、非常に幸せ者であると思っている。それは、物質的に恵まれているなどという単純なことではない。自己の生涯を賭けて、なおあまりある信仰に巡りあえたことのみならず、それを私と相連なって実践する多くの青年の友人がいるからである。
(略)
特に、この一、二年は、折にふれ、自分の著書に、私の感じたままを書いて贈ったりなどしてきた。もとより、それは、いわゆる格言でもなければ、箴言でもない。指導しようなどという意思にもとづいて書いたものでもない。なんとか、わが友が、苦境を乗り越えて、その人らしい成長と逞しい自信をもってくれればという、悲願にも似た心情から、できるだけ、一人一人に適するように書き送ったまでである。
(略)
なお、それぞれの文中には、一人称を使っているが、それは、この短文の読んだ本人の心底に、強烈に焼きつき、これを契機として、少しでも、未来の山へ立ち向かってくれればいいという念願からであることも、併せて諒とされたい。
「人生1」1/3
名もない人達と歩みながら
心を打たれたといわれる人生を
私は 生きたい
*
曖昧さと 中途半端ということを
私の姿勢から取りたい
自分の約束を
自分で果たしてゆくところに
私の一生涯にわたる城が
構築されることを
願っているからだ
*
僕は 僕の道を 堂々と
真剣に 怠惰に溺れず
高山に登るが如く今日も進む
*
今日の旅も終わり
皆で大笑いできるような
明日への出発でありたい
*
私は 未来を薔薇色に
夢みる時代を卒業して
現実の地上に根を張った
今日の生活の中に
幸せの力があることを知ったのだ
*
私は夢幻の旅をしたくない
生き生きとした実在の旅を
今日もつづける
*
僕は生涯叫びつづける
「邪悪よさようなら」
「正義よ今日(こんにちは)」と
*
人生にあって
笑いのないということは
花のパッと開かないのと同じだ
いかなる葛藤の社会であっても
ユーモアだけは忘れたくない
*
幾度 無駄足を踏もうとも
君の礼儀正しさに
彼は遂に
恥ずかしい思いをしたといわれる
大誠実の人生を送ってほしい